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税理士試験の合格発表の思い出。

みなさんこんにちは、滋賀県大津市の税理士・社会保険労務士の山本哲平です。

 

先日、税理士試験の合格発表がありました。

 

年々受験者数が減ってるみたいですね。

私が受験していた時代は就職氷河期の真っただ中で受験者数が非常に多い時期でした。

今はお金と時間をかけて無理して資格を取らなくても就職に困ることは少ないですが、当時はみな死に物狂い、なんとか一つでも資格をとって就職先を見つけるぞという雰囲気で、税理士に限らずいろいろな資格で受験者数が多かったように思います。

 

そんな就職氷河期の真っただ中の平成10年から平成13年まで4回受験しましたがこの合格発表の時期は1年で一番そわそわしていました。

1年間死に物狂いでやってきた結果が出るわけです。

合格すれば次の科目に、不合格ならば来年の受験に向けてまた一から勉強です。

まさに天国と地獄。

結果は郵送で届くのですが、うちはなぜか郵送されてくるのがいつも遅かったんです。(大阪在住の友人らより1日遅れぐらい)

12月は学校が休みでしたので、結果通知が届くであろう日は予定をいれずに家で待機して、ずっと郵便配達が来るのを待っていました。

結果がわかったらすぐにやることは学校(大原簿記専門学校)への連絡。

年明けからの進路について、結果を踏まえてすぐに相談することなっていました。

 

結果通知書が届く

  ↓

中身を確認

  ↓

学校に電話

  ↓

先生と相談しながら進路(次の受験科目など)を決定

 

平成10年はは簿記論受験で簿記論を合格したので9月から学習していた財務諸表論と相続税法をそのまま継続して学習、平成11年は財務諸表論と相続税法を受験して、財務諸表論は不合格、相続税法は合格でした。9月からは法人税法と消費税法の学習をしていましたが、消費税法を財務諸表論に振り替えることにしました。平成12年は法人税法と財務諸表論を受験して両方合格。この時点で就職することに決めました。

そして最後の消費税法は一発合格。

ちなみに5科目合格達成者は官報に氏名がのりますので、最後の消費税法については郵便で結果が自宅に届く前に官報を見た学校から合格してたで連絡がありました。

 

計4回の結果通知を経験しましたが一番うれしかったのは財務諸表論と法人税法を合格した平成12年です。

5科目中2科目合格から一気に4科目合格に進んで一気にゴールが見えたことで、もう少しで受験勉強から解放されるんだと安堵の気持ちになったんだと思います。

2019年12月17日 09:06

社会保険労務士試験の合格が税理士事務所での仕事に大きく寄与。

みなさんこんにちは、滋賀県大津市の税理士・社会保険労務士の山本哲平です。
 
先日、社会保険労務士試験の合格発表がありました。
私が合格したのは平成15年ですので16年前とはるか昔?ですが今でも受験当時のことは覚えています。
 
受験当時は税理士事務所に勤めながら勉強を進めていました。
 
平成13年の1月から税理士事務所での仕事を始めましたが、税理士事務所での仕事では税務関係はもちろんの労務関係の知識が役立つことを強く痛感しました。
平成13年の12月の税理士試験の合格後もまだまだ勉強モードでしたのでそのままの勢いで社会保険労務士の資格を取得することを決め、その1年後の平成14年12月頃から社会保険労務士の受験勉強を開始。
平日はほぼ毎日残業で帰宅は早くても9時頃で土曜日も出勤することが多く通学する時間を確保することは困難であることから大原の通信教育(CS放送)で受験勉強を開始しました。
帰宅後の1時間と通勤の電車や昼休みを勉強に充てる形でなんとか基本的な事項を網羅し、試験の2か月前ぐらいからは仕事が休みの日は丸1日勉強に費やす感じでなんとか1回の受験で合格を勝ち取りました。


税理士事務所での仕事を通じて労務関係の実務経験を積んでいたことは非常に大きく、テキストの内容がすらすらと頭に入り、また、その勉強した成果をすぐに実務で活かせることで仕事自体が復習になっている側面もありました。
おそらくですが実務経験が無い状態で勉強していたら1年では合格できていなかったと思います。
 
 
2019年11月15日 06:16

税理士試験4年間の総括。簿記検定とのレベルの違い

みなさんこんにちは、滋賀県大津市のの税理士・社会保険労務士の山本哲平です。
税理士試験は3年間で4科目(簿記論、財務諸表論、法人税法、相続税法)を取得し合格までリーチ(残り1科目)の状態で4年目の受験となりました。
最後の受験科目は消費税法です。
過去の3年間は受験専念で臨みましたが4科目取得した時点で会計事務所に就職(試験が終るまでは週3日のアルバイトで、試験終了後に正社員)をし、仕事をしながら受験しました。
4年目ともなれば勉強スタイルも確立をしており、ボリュ―ムも大きくない消費税法、また、超就職氷河期の時代(会計事務所の就職も厳しい時代でした。)にあるにも関わらず、就職先も難なく決まり、ゴール(5科目合格)も目前ということもあって、心理的にも有利な状況で学習を進め、無事に合格を果たしました。
ということで4年目はそんなに振り返ることはないのですが、ここであれためて4年間の受験を総括したいと思います。
税理士試験は1・2科目ずつ受験する方がほとんどであり、1科目の合格率は10%~15%ぐらいです。
そして、ほとんどの受験生が簿記論・財務諸表論を最初に受験し、それらを合格した後に税法科目に入っていきます。
そのため税法(とくに法人税法・所得税法の選択必須科目)から受験者レベル(そのほとんどが科目合格者)が一気にあがります。
ここが一番の壁であり、ここをクリアした者の多くは最終ゴール地点(5科目合格)までたどりついています。
自分自身を振り返ってもこの時(受験2年目)が一番きつかったです。
ここでがんばってギアを2段、3段とあげられたことが合格の秘訣だったかなと思います。
ちなみに私の感覚で申し上げれば日商の簿記検定の1級のレベルが1とした場合は、私が受験した税理士試験の科目はこんな感じです。
簿記論 1.2
財務諸表論 1・5
消費税法 1
相続税法 2
法人税法 3
 
2019年10月11日 13:20

税理士試験3年目 急がば回れ。遠距離通学が合格への近道。

みなさんこんにちは、滋賀県大津市の税理士・社会保険労務士の山本哲平です。


今週末は社会保険労務士試験が行われます。

8月上旬には税理士試験が行われており、毎年夏がやってくると受験当時のことを思い出します。

 

今日は税理士試験3年目を振り返りたいと思います。

この年は財務諸表論と法人税法を受験(両方合格)しました。

3年目ともなると勉強スタイルが確立されてきており、毎日が同じ事の繰り返しです。

比叡山坂本駅から新大阪駅までJRで通っていましたが電車に乗っている時間だけで片道約1時間。往復で約2時間もあります。その間はひたすら条文の暗記です。

税法の理論問題って今も変わっていないと思いますが、丸暗記するしかないので必要なのは気合いなんです。気合で毎日条文を頭に入れていました。

授業は朝9時から夕方ぐらいまでで週3日が法人税で週2日が財務諸表論の授業でした。

授業が終わると自習室に行って復習をし、午後8時ぐらいにとてもレアな湖西線への直通電車があったので、いつもそれで帰っていました。

帰宅後は夕食・お風呂でその後は寝るまで条文の暗記。

春先ぐらいまでは土曜日の授業がないので土日は条文の確認を少しするぐらいで自分の時間もあります春以降は追い込みの時期に入ってきて、土曜日も授業が始まり平日と同じスタイルとなり、日曜日も復習等に費やしていくことなります。

 

このように20歳前後の時期はストイックに過ごしていました。

 

ちなみに私の周りを見ていると遠距離通学者の方が成績が良かったので、合格への近道は遠距離通学かもしれません。

スマホも無い時代で電車の中では勉強ぐらいしかやることがなかったのが幸いしたのかなと思います。

2019年08月21日 09:31

複数科目受験の場合は勉強時間の配分が重要!

みなさんこんにちは、滋賀県大津市の税理士・社会保険労務士の山本哲平です。

7月に入りました。
この時期になると税理士試験の受験時代を思い出します。
最後の追い込みの時期で朝から晩まで、食事とトイレとお風呂と睡眠以外は本当に勉強しかしてこなかったと思います。

そんな税理士試験の思い出を振り返りますが1年目は簿記論を受験して合格。
そして2年目は財務諸表論と相続税法を受験して、財務諸表論は不合格、相続税法は合格でした。
複数科目を受験する場合は勉強時間の配分をうまくやらないといけないのですが、今思えばそこを少ししくじったかなと思います。
両科目ともにがんばれば合格に届く圏内で推移していましたが、どちらかと言えば相続税法は力を入れてがんばらないといけなかったのとは逆に財務諸表論はもう少しで合格というところまで来ていたので、直前期は相続税法の勉強にかなり力を入れました。また、相続税法が税理士試験の受験科目では珍しい非会計科目だったので、高校時代から勉強を続けている簿記会計の世界とは違う新鮮さがあり、楽しかったのでこちらの勉強を重点的に行ってしまいました。
 
同じような状況は社会に出てからもあります。
確定申告の時期なんかはまさにそのもので3月15日に請け負ったすべての確定申告の業務が終えられるように時間配分をしっかりとこなさないといけないですし、失敗(申告期限に間に合わない)が許されないという点ではこちらの方が税理士試験よりもシビアです。
 
 
 
 

2019年07月04日 11:12

スピードが勝負の税理士試験!

みなさんこんにちは、滋賀県大津市の税理士・社会保険労務士の山本哲平です。

 

6月に入りました。

年末調整から始まった繁忙期が3月末決算の申告(5月末)で終わり、少し落ちついてくるのが税理士業界のこの時期です。

その逆に税理士・社会保険労務士の受験生にとって、これからが追い込みの時期で8月の試験本番までは休みなしの日が続くでしょう。

 

私が税理士試験を受験していたのは20年近く前の1998年~2001年の4年です。18歳で簿記論受験(合格)、19歳で財務諸表論受験(不合格)・相続税法受験(合格)、20歳で財務諸表論2度目の受験(合格)・法人税法受験(合格)、21歳で消費税法受験(合格、五科目合格達成)という流れで試験を受験しました。

 

最初に受験した簿記論において、簿記検定との違いで一番に感じたのがスピードです。

問題の難易度も簿記論の方が高いですが、それはある程度の想定内でした。想定外だったのがかなりのスピードが要求されることです。

簿記検定1級でもゆっくりと考えながら問題を解くような時間は与えられてはいませんが、その比でないぐらいスピードが必要でした。

そのスピードですが、一言でスピードを言ってもいろいろあるわけで、電卓をたたくスピードもあれば、回答を書くスピードもあります。(税法の試験では、暗記してきた長い条文を書かなければなりません。)そんな中でもっとも必要だったのが状況を判断するスピードです。

瞬時に解答に必要な時間を予測し、場合によっては問題をすてる(後回しにする。)といった判断を瞬時に行わなければなりませんでした。

 

ということで、今日は簿記検定と税理士試験の簿記論で感じた違いを記事にしました。

 

税理士や社会保険労務士を目指している方の参考になるかはわかりませんが、これからも受験時代のことを思い出しながら少しづつ記事にしていこうと思っていますので、よかったらご覧ください。

2019年06月05日 06:09

本気で取り組めば、チャンスは必ずやってくる。

みなさんこんにちは、滋賀県大津市の税理士・社会保険労務士の山本哲平です。

 

気が付けば1月も半ばを過ぎ、確定申告にいよいよ突入という時季がやってきました。

毎年、確定申告書の作成の第一号は自分の申告書です。

ようやく年末調整・法定調書の作成が終わりつつあるので、例年と同じようにまずは自分の申告書の作成に取り掛かろうと思っています。

 

さて、このブログでシリーズで書いていこうと思いながら続きが書けていなかった受験勉強時代の話です。

その第2弾は高校時代の後半部分です。

 

高校2年以降はメキメキと力を付け、高校3年生の春でサッカー部を引退した後は簿記の学習に本気で取り組むことに。

目標は来年(高校卒業後)の8月に実施される税理士試験を受験するための受験資格を得るために、11月に実施される日商の簿記検定の1級ないしは年が明けてからの2月に実施される全経簿記の上級の合格。

それに向けての勉強を開始するために大原簿記専門学校のテキストを購入し、独学で勉強を開始。

 

手探りで学習を始めて2週間ぐらいが経過したときに、n先生と運命的な出会いを果たす。

 

それまでは自力でなんとかしないといけないと考えていたのですが、時を同じくしてたまたまn先生がその当時の大津商業高校で歴史上だれも成しえなかった日商簿記検定1級(全経簿記検定上級)の高校生の現役合格に向けたプロジェクトを立ち上げたところで、まったく面識がなかったn先生を友人に紹介され、そのプロジェクトに参加させていただくことに。

多くの公認会計士・税理士を育て上げたn先生の教え方はさすがで独学でわからなかったところもスラスラと理解が進み、11月の日商簿記検定1級の本番を迎えるころには、合格できるかもというレベル(問題との相性など)まで上達できていました。

結果は61点(70点合格)で惜しくも不合格となりましたが、一定の手応えを得た状態で、2月の全経簿記検定上級の試験に向けて勉強を再開。

そして、見事に全経簿記検定上級に合格し、税理士試験の受験資格をゲット。

おまけにこの合格により大原簿記専門学校の特待生(Aランク)の基準もクリアし、2年間の学費及び入学金(約200万円)が免除されることになりました。

             

この偶然のn先生との出会いですが、自分の今までの人生を振り替えると、ここぞという時にはこのような出会いというかチャンスと言ったらいいかはわかりませんが、そのようなことが必ずと言っていいほど起こっています。

そのようなもの(チャンス)は自分がそれを必要としない限りは見えない。あるいはそれを引き寄せられないのかなと思います。

それを必要とした時にはじめて、それに出会うことができるのだと思います。

 

高校の時を振り返れば、友人の紹介でn先生に出会いましたが、それは私が友人に自分の目標を話したことでn先生を引き寄せたのだと思います。

本気で税理士を目指していた私の想いが友人に通じて、n先生を引き寄せたんだと思います。

 

ということで、受験生に伝えたいのは「本気で取り組めば、チャンスは必ずやってくる。」

という一言です。

2019年01月18日 10:40

簿記との出会いから税理士を目指すまで

みなさんこんにちは、滋賀県大津市の税理士・社会保険労務士の山本哲平です。

11月は社会保険労務士試験、12月は税理士試験の合格発表が行われる時期であり、この時期になると受験勉強をがんばっていた時代を思い出します。

今からもう一回やれと言われても絶対やらないですね。

それぐらい人生で一番勉強したのが10代後半から20代前半の時期です。

 

今の受験生の参考になるかはわかりませんが、一番勉強をがんばった受験生時代のことをこのブログで少しずつですが振り返っていきたいと思います。

 

このシリーズの第一弾として「簿記との出会いから税理士を目指す。」までということで高校受験から高校2年生ぐらいまでのことを書いていきます。

 

高校はHPのプロフィール欄にあるように大津商業高校に行きました。

大津商業高校を志望した理由は主には次の2つです。

一つは自分の学力で行けるであろう学校で偏差値が一番高かったこと、もう一つは珠算の授業があったので小学校から習っていた珠算の経験が活かせるだろうと考えたからです。

簿記とはまったく関係ないですし、そもそも中学生時代は簿記の簿の字も知らなかったです。

 

そして志望通りに大津商業高校に合格をし、無事に入学、ここで簿記との出会いを果たすことに。

出会いといっても今の立場(税理士)であることを考えれば、そこまで運命的なものではなく「簿記?」「数学の一種?」みたいな感じでした。

そして成績の方については、可もなく不可もなくといったぐらいの感じで1年を経過しようとしていた高校1年の3学期に強制的に全商の簿記検定の3級を受験させられることに。

この受験が大きく運命を変えることになりました。

 

この受験に向けた勉強で今でも自覚がありますが「覚醒」しました。

なにかを掴むといったらいいのかもしれませんが、この受験勉強で完全に簿記を掴みました。

それまでの15,6年の人生において「やらされるものだった勉強」が「もっともっと勉強したい」に変わった瞬間です。簿記会計だけですが・・・

高校2年生になってからは、簿記会計系の科目だけですが成績はグングンと上昇、気が付けば学年で1,2を争うレベルにまで達していました。

 

そんな時に何がきっかけかは忘れましたが、簿記を活かせる職業として、税理士というものがあるということを知りました。

高校卒業後は働くつもりでいましたが、簿記を活かせる仕事があるのならそれを目指そうと税理士になることを決意、そして税理士なら大原ということもなぜかは忘れましたが、この時(高校2年生)に既に決めていました。

ちなみに会計士については、この時点ではそのような職業があることをまだ認識していません。

 

次回以降につづく

 

2018年11月15日 14:41